不登校は誰の問題?

不登校は誰の問題?

お子さんが不登校になると私たちは何とか学校に行ってほしいと願いますが、どんな悩みを誰が持っているのかご存知ですか?

どよ~んと漠然とした重い気持ちが悩みを整理することによって自分の取り組むべきものがはっきりしてきます。

息子が不登校していた当時、私の心の中には世間体が悪い、子供は学校に行くのは当たり前、常識から逸脱する恐れや思い描く子供の将来に対する落胆や母親として子育てを否定されたような気持ちなどがありました💦

そもそも学校はなんのために行くのでしょうか?

知識を学ぶ、集団生活を学ぶ、人間関係を学ぶなどいろいろあるけれども、それらが得られなくなるのは親ではないはずなのに、なぜか重たい石でも乗せられたように暗くのしかかってきたのは自分自身の価値観に反するから悩んでいたんです。

つまり、不登校が引き金になって自分の問題が浮上したということです。

悩みはいつだって悩んでいる人の問題😆

お母さんが気持ちのゆとりを持てるように自分自身を整える時間を大切にして欲しいなと思います。

子供たちの自由な発想で驚かされることはありませんか?私たち大人の枠をはるかに超えます。その枠でお子さんの解決力を奪うことのないよう、その力があると信じられる親でいたいと思います。

親御さんが自分自身と向き合うことで楽になっていけば、お子さんによい影響がないわけがないですからね!

お子さんを信じて見守るというのは親が解決しようとするよりはるかにハードルが高い気がします。お子さんは本当に自分のための言動なのか敏感ですから、どんな親でいたいかを持っておくのも自分の支えにするためにもいいかもしれません。

 

学校に行かないことで困るのは誰?

学校に行かないことで困るのは誰か、考えたことがありますか?

 

もし、勉強が遅れるとか友達がいなくなるとかお子さん自身が困るなら、お子さんの問題。

 

もし、世間体が悪いとか子供の将来が不安とかあなた自身が困るなら、あなたの問題です。

 

”お子さんは学校に行かないという選択をした”という事実にどういう意味を持たせるのかは”わたし”自身なんです。

なので、問題とあなたが感じるなら、もともと抱えているものが不登校を通して表面化しているだけ。

ただその価値観を持っているというだけで、あなたが悪いわけでもなんでもない。

私たちが生まれたときの環境や社会情勢や遺伝的に受け継いできた価値観などもあるから、あなたらしく生きるために不要な価値観なら手放していきませんか?

周りの環境によって自分の幸せが左右されないような生き方をみせることは自分自身を幸せにするだけでなくお子さんをもきっと緩ませてくれるでしょう。

 

 

親が子に望むこと

woman.exciteにこんな記事を見つけました!

Q.令和時代を生きる子どもに親が望むことは?
・失敗しても立ち直れて成長できること 46.0%
・自分の力で道を切り開けること 38.9%
・世界の人とつながり協同できること 5.6%
・AIに負けない考える力を持つこと 3.3%
・その他 3.0%
・特にない 3.1%

令和時代「親が子供に望むこと」より

 

生命力とでもいうのでしょうか、子供自身の生きる力を望む親がほぼ85%を占めます。そしてそのようにみえる現実が目の前にあるということ。

このアンケートがすべてとは言いませんが、親が先にこの世を去るのが自然なので、親が子に望むとしたら、自分がいなくなっても力強く生きてほしいと願うのは頷けます。

お子さん自身の問題の場合、主体を明らかにしたからと言って放任するわけじゃありません。私たちが子供たちの解決力を邪魔しないように、または大人が解決の主体になるのを防ぐために知っておきたいことです。

子育て期間は過ぎてみればほんとにあっという間です。

お子さんと限られた時間をより良く共有するための環境づくりの一つに私たちが私たち自身の問題と向き合うことだと思ってます。

まとめ

・問題の主体をはっきりさせて、お子さんの問題はサポートに回りましょう。

・自分の問題をクリアにしましょう。

・お子さんの生命力を育てる環境づくりをしよう。