母親の作ったご飯を食べない

 

 

母親の作ったご飯を食べたくないわけ

 

 

ご飯を食べてくれないと心配になるよね。

命に係わるかもしれないものね。

 

その心配を十分承知の上で伝えたいことがあるの。

私自身がハッとさせられたことだから。

 

わが子が籍を置いていたフリースクールの子供たちが教えてくれたんだけど

母親の気持ちが乗ったお料理が重いという一面があるということ。

 

そのお料理に、学校に行ってほしいとか

どうして普通じゃないのかとか

明日は学校に行けるかとか

愛情が伝わっているのかとか

 

子供を責める気持ちや

自分自身のことを責める気持ちなど

ネガティブな気持ちを敏感に感じてる…

 

 

だから、なんの思いも入っていないコンビニのお弁当やジュースなら喉を通る。

 

決して甘ったれてるわけじゃない。

 

もちろん、

自信を失いかけてその姿を見られたくない気持ちから

一緒に食卓を囲むことが難しいと感じる部分もあると思うけどね。

 

私たちはまずは本当はただ食べてほしいだけだよね?

私たち自身の”わが子が元気に生きてほしい”という純粋な願いに気づきたいね。

 

どうしてわが子にご飯を食べてほしいと思うのか、

自分の本心に是非気づいてほしい。

 

 

自分の気持ちを伝える前に

 

 

 

私たちは案外自分の気持ちがわかっていない。

 

 

 

学校に行ってほしい…

 

 

 

本当にこれが自分の気持ちだろうか?

 

 

子供が学校に行かなかったらどんな怖いことが起こりそう?

子供が学校に行ったら何を得られるの?

何を得てきたの?

 

自分の心の深いところを探っていくと

世間体や他人(親)からの評価を得たくて

言ってることに気づくこともあるかもしれない。

 

私もこれに気づいたときは愕然としたし

子供への愛情と思っていた言葉がなんと保身だったなんて

とてもショックだったんだけど

 

気づくことがなにより大事😙

 

なぜかというと

どんな綺麗な言葉であろうと

その言葉に乗せた本心が伝わることがわかるから。

 

相手の反応に関係なく

本心で話し続ける覚悟をして

相手にも自分自身にも素直で誠実になるチャンスと思ってね。

 

 

心を通わせるということ

 

 

 

親と話がしたいと思うときってどういうときだろう?

 

自分がそこにいて安心で安全で

ありのままの自分を受け入れられてる実感と愛情が感じることができて

 

たとえ意見が違ったとしても

あなたはそう思うんだね、と否定されずに尊重されると信じられる雰囲気の中から

作られたお母さんのお料理はとっても暖かくて軽いと思わない?

 

お子さんは本能的にそれが本物かどうかわかります。

 

私は息子に信頼してもらえるようになるまで10年かかってしまったけれど💦

私たちの本音で話そうと努力する姿勢を

本当に優しく認めてくれる存在です。

 

私はこの時間は子育てのやり直しさせてもらったと思ってて

素直に自分の思いを伝えあうことは

とても照れくさいし恥ずかしいし勇気のいることだけど

 

母親とか子供とかの枠を超えて

なにができるかできないかを超えて

存在そのものを心から愛そうとするだけで

 

魂が伝わっていくのを感じたんだよ。

 

伝わってるかどうかじゃなくて

伝わってることが疑いもなく信じられたら最高だね!