不登校を隠す

わが子の気持ちを楽にする

 

 

私たち親はわが子が学校に行かないと戸惑うよね。

 

不登校しているお子さんのほとんどは

何かしらの原因で自信を失って

無価値観や自己否定してる子が多いんです。

 

学校へ行ったほうがいいと思っているのに

それができないと悩んでいるのに

親が自分の存在を隠そうとされたら誰でも辛くなるよね?

 

その場にいなくとも

親から発する無言のメッセージを敏感にキャッチしちゃう。

 

お母さんがつらい状況にあるのを承知の上で言うけど

お子さんのありのままをまず受け入れてみよう。

 

批判も判断もせずに「そうなんだね」って。

 

自分のことをネガティブに捉えてるときに、

親からかけられる言葉が自分を責める言葉じゃなく、 

認めてくれる言葉だったらホッとするよね?

 

学校に行っても行かなくても

私はあなたの存在そのものを愛してるっていう嘘のない心が

お子さんに響かないわけがないから。

 

ポイントはお子さんの反応を期待しないこと。

 

ただ一方的に愛してる、です。

 

 

不登校を隠すということ

 

 

上の章ではわが子の気持ちを楽にする、

私たちの在り方をシェアしたけど

 

わが子を”隠す”って

存在を否定することだよね?

 

だれでも”存在を否定”されたらいい気分でいられない。

自分自身が自分の存在に絶対の肯定感を持ってる場合を除いては。

 

ゆるがない自己肯定感があるなら

誰に何を言われようが

親に認められようが認められまいが関係ないけど

 

わが子の様子がそうではないと感じるなら

自分の”隠したい”と思った事実に向き合うほうが効果的!

 

なぜって

お母さんが自分の内側に目を向けることで

子供はお母さんの”心配ビーム”から解放されることと

お母さんは自分の本心に気づいていけるから。

 

 

知られることで何を怖がっているの?

隠すことで何が得られるの?

 

 

ここがね、辛いとこだけどね。

何度も何度も問うことで

”私自身”に気づいていく作業。

 

”私”の魂は何に気づきたいの?

 

 

何を怖がっていて

何を得てるのか気づいたら

”隠す”ことでそれを得るんじゃなくて

堂々と得る方法を知るだけなんだよ。

既に持ってるかもしれないしね(^^)/

 

そして、いつもなら”隠したい”ような場面に出くわしたときは

わが子のすべてを受け入れ愛している自分として

対応してみてね。

 

たとえその時できなくても

責めたりせずに何度かトライしていくと

馴染んでいくから。

 

迷ったときには、

”どんな自分でいたいの?”

そう自分に聞いてみて。

 

全ての出来事が

自分の選択であることに気づくと思うよ。

 

 

お子さんのこころ

 

 

お子さんと信頼関係ある?

 

私はほとんどなかったと思う。

 

ガチガチの価値観で

自分が正しくて

私に従ってれば間違いなくて

将来安心な道を歩めるからってマジで思ってたから💦💦

 

そら何も言わんわな😱😱😱

 

自分のしんどいときに

親から返ってくる言葉が想像できるもん(笑)

 

 

私たちが不登校のことを学ぶことは大切だし

わが子を理解したいと思うことも大切だけど

 

心のひだまではわからないし、

自分の価値観の中でそれらをしても

拒絶されるよね。。。_| ̄|○

 

私は不登校を学びながら、

子供を理解することは難しいけど(人が人を理解することは簡単じゃないという意味ね。)

 

”子供の味方でいることはできる!”

 

っていう価値観をぶっこまれた時に

ガ~~~ンってなって

「なるほど」って心底思ったよ。

 

学校に行くことが「正しい」と親も子も思っているとしたら

行かないことが「間違い」になってしまうから

正そうとして

それができなくて苦しくなるけど

 

私たちは子供を苦しませたいわけじゃない。

 

うちの場合は

高校1年のときだったから

行動範囲も広いし夜中は出歩くし

何日も帰ってこない。

 

おまわりさんから

暴力事件に巻き込まれた旨の連絡があったりもあったから余計に

 

命さえあればいいんだって

わが子が自分らしく生きてくれたら十分で

それ以外何もいらないって思えたんだよ。

 

”学校に行ってほしい”って

本当の望みじゃないよね。

 

本当の望みは子供の幸せであって

幸せになる手段が”学校に行ってほしい”と願わせてるだけだから。

 

だから子供の味方でいることって

私たち親だからこそできることだなって。

 

例えば子供が嘘をついたとして

嘘だと思ったとしても

信じることできる?

 

例えば子供がお菓子を万引きしたとして

万引きを承知でお菓子を一緒に食べることができる?

 

別にそれをお勧めするわけじゃないんだけど

自分の信じてる”正しさ”の外側にお子さんがいる時

自分の価値観に引き入れようとする限りいい方向には進まない。

 

私たちは自分が正しいと思っていると

相手が間違ってると認識しやすいけど

 

自分は正しい

相手も正しい

って思えたらいいよね?

 

そして

学校に行っても行かなくてもいい。

あなたがそれを選ぶならこんな道があるよ、と

求められたときに

たくさんの開かれた道があることを教えてあげられたらいいし

一緒に探すのもいいよね。

 

求められないときは

ただただ味方でいたいね。

 

私はあなたのすべてを愛しています💛

 

 

まとめ

 

 

1.お子さんの存在そのものを肯定する言葉がけ「そうなんだね。」は気持ちを楽にする。

 

2.”隠したい”はお子さんの存在を否定すること。

 本当は何を恐れているか、

 隠すことで得られているものは何か問うてみる。

 

3.お子さんの気持ちは理解しきれないが、味方でいることはできる!